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日本国内に留まらず全世界のあまたある食器の中で"晴と褻"では、開店時の食器は全て小石原焼 (マルダイ)窯元の物のみです。
何よりも代表の中野ひできが、窯元を訪問した際、実際の商品はさることながら、大きく重厚な藁葺屋根の母屋は母の胎内といわんばかりの居心地の良さ、そして三世代の同居の太田家の人間性に引かれ、この場で生まれる作品の数々は、和みどころの欠かせないパーツになると考え、店内での専有を決定しました。そんな小石原焼を紹介します。
陶郷小石原は、九州福岡から車で走ること2時間、大分県県境に程近い標高500Mの高原の小盆地に位置しております。いまでこそ交通の便もよくなったと聞きますが、十数年前までは、山深きところ、その秘境にある民窯といわれ、ただひっそりと静かなたたずまいの中で、四季むらさきの陶煙をあげておりました。
住古、この知は英彦山に属して、神領の一部でありましたが、しかもその参道に面し、近くには小さな宿場町も開けてありました。したがって、周辺は英彦山修験道に関する遺跡や、伝統に満たされております。最近の調査や結果によりますと、小石原焼は、英彦山権現有線に発する窯に創まるものであるといわれております。その後室 町時代の後期に、英彦山が豊後の大友勢と戦って敗れ、急速に衰退したために、小石原焼は民需用のみの窯に転じたということであります。
江戸時代の初期になって、朝鮮系の技術が導入されますと、それまでの無釉陶器に釉薬が施されるようになって、併せて地域内に高取焼の窯が新たに加わるに及び、この両者の出会いは民陶、茶陶の競合によって、共に励みあい、今日までの盛衰の荒波を乗り越えて、伝統の火を守りつづけてきたのであります。小石原焼が、今日の名をたかめるに至ったのは、前記のように、民芸小石原焼と、茶陶高取の調和が取れた共存の賜物で、その後日本をはじめ海外でも数々の著名な賞を受賞した事によります。
"晴と褻"では、そんな伝統的技法(刷毛目、飛鉋)の作品以外にも、当店オリジナルの食器等を含め、食材と店のコンセプトを引き立てる役割としてお客様にも関心の高いものとなっています。
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